2009年08月15日

絆があるの。

ドクターストップが出た私ですが、
色々あって、標高5,880mのドゥルマ峠越えに挑む事になりました。
(ドクターストップの件は書いてなかった・・・気がする。)


平地でも足を踏み外す馬“ムキリョクテイオー”と“自由な馬方のオジサン”
そして“死にかけの私”のイイ意味で運を天にまかせたチームで出発だicon10

キッチリ等間隔で進むなんてチベットの馬方さん達にはできない(というか必要性の無い)相談。
な~んも無いところを、
「あれっ?他の馬どこ??」
ぐらい寂しいカンジで行く事もあれば、

インディー・ジョーンズよりインディー・ジョーンズだ!!
ってくらいハラハラドキドキの崖を上ったり下りたりもする。

そして、ドゥルマ峠は雪でした。
でも、これでも不幸中の幸いです。
変に雪解けしてしまうと足元がぬかるんで馬で峠越えは難しい。
むしろ雪で凍って足場が固い方がいいらしい。

が、よいしょっ!っとムキリョクテイオーが大きな岩に上った瞬間!!

スパーーーーン!!

ムキリョクテイオーの前足が凍った岩の上を滑って180°OPENface08

「ひぃ~~~~~~っ」

落馬か!?
と思ったが、何しろ私は馬上で騒ぐなと教えられている女。
瞬間、無言で対応する腹を決めた。

すると、前足がスパーンとなったムキリョクテイオーも
ビックリして肩にグッ!っと力が入ったらしい。


シャッッ!!

また岩の上を滑って瞬時に前足が戻ってきた。



ムキリョクテイオー直立。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


私もオジサンもムキリョクテイオーも何が起きたのか分からなかった。
キョトンッ!だ。


「えっ??」

心の中ではかなりなパニックの私。
我ながら状況が分からずになんだか動けなくなっているムキリョクテイオー。

こんな状態に一番切替えが早かったのはやはりオジサンだ。

「じゃ、行くか。」
時間にして3秒くらいで今の出来事なんてどうでもよくなったらしい。

しかし、ムキリョクテイオーはそうは行かない。
「怖いもんっicon11ヤダもんっicon11icon11
と足を踏ん張って抵抗している。

私はすかさずムキリョクテイオーを撫でたりして励ましだっ!!
だって、私、馬下りたら峠越えられないよっface10


そして私は知った。
いい加減だとばかり思ってたオジサンが馬方として最優秀の人だった事を。。。

オジサンはムキリョクテイオーの気持ちを汲んで、
「ほら、大丈夫(的なコトを)」声かけしながら
ムキリョクテイオーが分かるように滑らない岩にオジサンの足跡をつけ始めた。

元々ムキリョクテイオーはオジサン大好きの大人しい馬。
その一言をきっかけにオジサンの足跡を目印に歩き始めた。

オジサンとムキリョクテイオーの間には確固たる絆があるんだと
私、ちょっとカンドーicon12

それからの私はムキリョクテイオーを褒める事のみに集中。
崖だろうと、平地に近いデコボコだろうとムツゴロウ並みに「ヨシ、ヨシ、ヨシ!!」
たてがみ撫でまくったよ。


最終的に言うと私とムキリョクテイオーの間には絆らしきものは生まれなかったが、
それでも頑張ってくれたんだよね。
多分、君以外のお馬では峠は越えられなかったと思うんだよ。  


2009年08月09日

小学2年生・・・3

さて、そのままの馬方さんに教えられた私ですが
日本に帰って酸素たっぷりのところで思いました。

「チベッタン小学2年生だな~」
なんて思っていた私。
しかし、日本人ベースの常識や大人として当然こうあるべき、こうしなければいけない。
を取り払って私の言動を探っていくと・・・

うふふ、幼稚園の時の私となんら変わっていないの。
喜怒哀楽の原動力は幼稚園のままなの。

それを隠そうとしてそれなりの理由をつけたりそれなりの対応はするけどね。

そうか、小学2年生なんて、オジサン大人だったんだな~icon11
  


2009年08月04日

小学2年生・・・2

また明日とか言ってたのスッカリ忘れてた。


さて、私のチベット人嫌いを払拭した出来事。
それはやはりカイラス山で起こった。

私の組んだ馬方さんは労力を使わずに働くタイプの人だったので、
およそ20チームいる中で、常にほぼ最後尾を歩いていた。

その時ものんびりペースで山を下っていたところ、
前方になにやら人だかりが・・・!!

人や馬でよく見えないが、どうやら誰かが落馬したらしいっface08

一体なにがあったんだろう!?
大丈夫なんだろうか???

旅の仲間の一大事だ。
私も前方の様子が知りたいと思ったが、
その時、馬方のオジサンはもっともっと何が起きてるのか知りたかったらしいicon10

おもむろに右手の崖をどんどん上り始めた。
もちろん、馬を連れて。

っつ~事は、
もちろん、馬に乗ってる私も連れて・・・だface08face08

え~~~~~~っ!?


ちょっと、ちょっと!?
崖だってのっ!!!

しかし、オジサンはお構いナシにどんどん崖を登っていく。
道なき道をどんどんと。
そら、道ないよ。
だって、崖だもん!!

やめて~っっ!!

何度叫びたかったか分からない。
でも私、馬上で騒ぐなって教えられてるからさっface10
ココまで来たら、もう暴れないのが一番安全だしっface07


そして、オジサンはサッサと落馬現場を真上から見渡せる所まで崖を上がりきって叫んだ。
『どうなってんの~?(←私の想像)』

すると、現場より中継が。。。
『あ~なって、こ~なって落馬したんだよ!(←もちろん私の想像。)』

ひとしきり情報交換が終わるとオジサンは、
『あ、そう。』
とばかりに今度はどんどん崖を下り始めた。

よ、よかった~icon10

と、思ったのも束の間。
オジサンは崖上から追い越しをかけ、今度は先頭に踊り出た。
そしてそのまま何事も無かったように歩き続ける。


ちょ、ちょっと~っ!!
私の旅の仲間が落馬してるのっ!
心配だってのっっ!!!


スッカリと気が済んでどんどん先を行こうとするオジサンと慌てる私。
すると、オジサンもさすがに気づいたらしい。
私が心配してるって事に。

『なんだ、お前アレ気になるのか?(←私の想像。)』

「気になるよ、当たり前じゃんっ!」(←日本語)

『そうか、じゃ、お前はアレを見に行け。オレはココで休む。』(←私の想像。)


交渉成立だ。
オジサンは私を馬から下ろすと完全休憩体制に入った。


幸いにも、落馬した時には真後ろにドクターの馬がいてすぐに処置をしてくれたらしい。
そして、そのとき初めて知ったが、ドクターは外科医だったそうな。
不幸中の幸いです。

ホッと一安心した私ですが、
その時思ったんです。

そうか、チベット人って自分の心に忠実なんだな。

そう思うと今までの戸惑いが解けていきます。
したいからしてただけ。

そうだな、例えれば小学2年生くらいなカンジか。


その日から、私はチベット人が全然嫌いじゃなくなりました。
むしろ、結構ツボ。


チベッタン、それは愛すべきそのままな民族。。。  


2009年08月02日

小学2年生・・・1

私は正直言って最初はチベット人が好きじゃなかった。
いや、むしろだんだんに嫌いになっていった。

私にとってチベット人は今まで会ったどんな外国人とも違う不思議民族だった。


何も無い所だから〝なんかおくれ!〟とやってくるのは分かる。
でも、テントまで入って物を取っていこうとするのはいかがなものか?

あなた達の〝貰う〟と〝盗む〟の境界線はどこなの!?


しかしながら、本当に何も無いから〝なんかおくれ!〟とやってくるのは本当に分かる。
でも、宿泊先(ホテルの名で呼ばれていたが、日本人からしたら絶対違う建物)に大勢で押しかけて部屋の中まで大声出しながら押し入ってくるのはいかがなものか?

そのアグレッシブさ、国が違ったら犯罪だよ?


これが想像以上に何にも無いから外国人が珍しいのも分かる。
でも、深夜に自分のテントをザーッってなでて行かれたら本当に怖いんだよ?

おまけにテントの傍で野犬の鳴きまねされた日には意味わかんなくてパニックだから!!


他にも深夜にホテル(という名の外気温とほぼ同じになる極寒の建物)のドアを
“オイ、オイ、オイ!!”
と叫びながら猛打してきたチベット人。

まぁ、チベットと日本で“オイ”の使い方一緒なんだってちょっとした感動だったけど、
寝不足高山病に一番よくないんだからねっface09



やせ我慢しないっていうのも私のカイラス巡礼での密かな課題だったので、
『チベット人嫌い』って何回か口に出してみた私ですが、やはり神のいる山カイラス。
そんな私の見解を改める出会いが・・・・。

それが、私の馬方のテキト~オジサン。

私はもんたよしのりに似てると思ってたんだけど、武田鉄也に似てるとの話もありました。






なんだかPCが熱くて仕方ないので続きはまた今度にしますface07  


2009年08月01日

テキトーなオジサン。

馬方のオジサンはテキトーだった。

雰囲気からすればどっかの競艇場とか競馬場にいそうな感じ。
省ける手間は全て省き、最小限の労力で仕事をこなし、最大限楽しみたい人だった。
しかし、それが珍しいわけではない。
20チームの内におじさんの“競艇場仲間”は3~4人いて、
おそらく日本にもそんな人はいて、社会全体の割合としらた大体同じくらいなんだろうな~と
なんとなく思っていた。

そんなワケで(?)、馬に乗り始めて数十分後には私はオジサンに〝コイツ放っておいても大丈夫か〟
と分別されたらしく、おもむろに手綱を持たされオジサンはどっかに行ってしまった。
別に馬に一人で乗るのは良かったが、微妙に手綱が短いのでかなり腰に負担が・・・。

結局、私は手綱を離し、鞍を持って行く事にした。

でも、手綱を馬が踏んでは大変だ。
そういう事なのか、私が手綱を離すとオジサンはどこからともなく現れ、再度私に手綱を持たせる。
そして私が離す。
数回繰り返したところでオジサンは馬のたてがみを掴む事を提案してきた。

まぁ、その方が楽だ。

しかし、大体この辺だろうたてがみを掴んでいたつもりではあったが、プロの馬方さんにすれば
ちょっと違ったらしい。

翌日、私が馬に乗ろうとすると『ココです!』
とばかりに馬のたてがみにカタがリボン結びにしてあった。
昨日私がつかんでいた部分とは1~2cmくらい上だった様に思ったので、その微妙なズレは馬にしてみるとイヤなのかもしれない。

1日馬に乗っていて分かったのですが、鐙の位置や鞍の位置でずいぶん馬の乗り心地が違うらしく、
馬方さんの調節によって乗馬の疲労度がかなり変わるらしい。
私は馬に乗ったときにオジサンがササッと調節してくれていたのでその疲れは全くナシ。

結局、テキトーだとばかり思っていた私の馬方さんは馬の扱いに関しては一流だったらしい。
だから最小限の労力で働けるんだね。  


2009年07月26日

命名 ムキリョクテイオー

私が乗っていた馬はたてがみに白髪が混じっていたし、平地でも足を踏み外して歩いていた事を考えると、
確実に老齢の部類に入るお馬さんだった。

老齢ゆえに足腰も大分弱っているのか?
それとも働くことに疲れたのか??

省ける手間は全て省きたい馬だった・・・・ように感じた。

私はちゃんとした乗馬は初めてだったけど、一応馬に乗る前にネパール人のポーターさんから乗馬をする時のアドバイスは受けていた。

・馬上で騒がない。
・下り坂の時は後傾姿勢、上り坂の時は前傾姿勢になること。


初日はまだそんなに大変な道は行かないよ。と聞いていたので、
私は後日に備え、何となく前傾姿勢と後傾姿勢の練習を開始。

ちょっと下った感じだから反ってみよう。
ちょっと上った感じだから前傾してみよう・・・。

しばらく繰り返しているとある変化が。

私が景色に見とれて姿勢を変えずにいると、
あれ?
お馬さんも止まっている。

しかも前足をささやかな道の上り口にかけたまま。。。
私の姿勢待ち・・・になってるの?

も、もしや?
半信半疑ではあったけど、一応私は前傾姿勢をとってみた。

すると、お馬さんは“やれやれ。”と言った風にどっこいしょと道を上る。
そんな坂じゃないのに??

しかし、その後も坂・・・というか凹凸?くらいの上り下りにも私の姿勢待ち。

一体、どんだけ労力省きたいの!?
他の人が乗ってるお馬さんは姿勢の有無に関わらずガンガン行ってるよ?
今日、初日だよ??

でも、私の代わりに歩いてくれてるんだもんね。
前傾後傾くらいお安い御用か。。。

その後もお馬さんは省エネな歩行を続け、
私はそんなお馬さんの仕事に対する無気力具合に
自然と心の中でお馬さんを“ムキリョクテイオー”の名前で呼び始めていたのであった。  


2009年07月25日

馬方さんとムキリョクテイオー

前にちょこっと触れて、そのままスッカリ忘れていたのでカイラス・コラでチームを組んだ
馬方さんとお馬さんについてのお話。


カイラスでは私たちは馬に乗って峠越えをしました。
チベット人の馬方さんと馬と共に、2人と1頭のチーム編成で3日をかけて登って下りてのコラです。

チーム編成はアミダくじによって決定。
このアミダくじ、さすがは神の山カイラス山で行われただけあって、神の御業爆発です。
絶妙なチーム編成ができあがりました。

今年馬方デビューでヤル気なしのキャピキャピチベット娘には乗馬歴何年っていう人が当たり、なんなら馬の扱いを指導していた。
年だけどヤル気満々の馬には騎馬民族になりたかった友人が。
ハンサム大好きな人にはハンサム馬方さんが。
そして私はとってもいい加減だけど馬の扱いの上手なオジさんと、とっても大人しくてオジさんの事が大好きな馬とのチームになりました。




コレが私の馬方さんとお馬さん

馬方さんは“おじさん”、お馬さんは後に“ムキリョクテイオー”と命名


思い出深いチームであります。



  


2009年07月23日

チベット お寺の不思議4

コレ、“大”







コレ、“中”






あと、“小”がありました。


7回、まわすと願い事が叶うそうです。
チベットの人ってなにかと回したり回ったりするのが好きなのかな?

でも、日本でも信州方面かどっかのお寺でもこんなカンジでなんか回したな~。
記憶が全部あやふやだけど。  


2009年07月21日

プールバー チベット式

そう言えば、チベットではビリヤードが大流行しているらしい。





屋外ですが。



必ず1つの集落に1台ビリヤード台が置いてあった。
2台置いてあるのを見つけた日には「おっ、ここは大きな町だね。」っと本気で思った。

平地と湖しかないマナサロワール湖畔でさえもビリヤード台がポツンと置いてあった。
もちろん、聖地カイラス山にだって置いてあった。

風雨に曝され、雪に埋もれ、砂まみれになってまで。。。


気になる。
そんなに屋外で放って置かれて、玉数足りてるの?
無くなったりしないの??
ちなみに遊ぶときは9ボールなの???  


2009年07月20日

チベット お寺の不思議3

ティルタプリでは、女性の高僧(名前忘れた~icon10)がむか~し、むかし修行をしていた洞穴を御神体(と思っているかは不明ですが)としたお寺があり、今もその方の生まれ変わり以外の人はその洞穴に入ってはいけない。

そしてその境内(のような所?)には不思議な形の大きな岩がある。





なんでもこの岩は子宮の形をしていて、ドゥルグン寺の方に向いているそうな。
だからドゥルグン寺には若いお坊さんは居つかないと言われている。
実際、何人かお坊さんはチェンジしているらしい。

私はちょっと思った。
ド田舎だからじゃないのかなぁ・・・?


しかし、実際このお寺は空気が違った。
なんというか、聖地だけど清らかなだけではなく厳しさがあって畏怖さえ感じたティルタプリですが、
このお寺の中だけはまろやかというか、ほんわかというか・・・。
まさに母親のお腹の中っていうんでしょうか?

ちなみに、このお寺内の別の洞穴で瞑想してる風な写真を撮りましたが、オーブ写ってました。  


2009年07月19日

チベット お寺の不思議2





コレは名づけて〝親孝行の石〟とでも申しましょうか。
1~2m離れたところから目をつぶって歩いて、
写真のほぼ中央の黒い石に空いている穴に指を入れることができたら「親孝行ができる」という石です。

難しかった。

私もチャレンジしましたが、外れました。
まぁ、私たち日本人は外れたね~、とか難しいね~・・・くらいのゲーム感覚なノリだったんですが、
一緒にいたネパール人のポーターさんはスッゴク真剣な面持ちで何度もチャレンジ!
しかも、外れると本気で落ち込んでいました。

でもさ、
親孝行ができないと思ってそんなに残念がってあきらめられずに何度も真剣にチャレンジしてくれるんだから、
もう既にかなりな親孝行者だよね。

ポーターさん達には何度目からウロコを落とされ、心を洗われたか分かりません。  


2009年07月17日

チベット お寺の不思議1

聖地ティルタプリではドゥルグン寺と言うお寺の敷地内でキャンプをさせていただいた。




左上の方に塀の角っこが写っているのがドゥルグン寺。
泥と砂でできているので、雨が降るとお寺が溶けてしまいます。
ちゃんとした石造りの建物に建て替えたいそうです。





私はこのお寺のショート・コラ(巡礼)をしたのですが、
その際に面白いものがあったのでご紹介。






中央の穴の中に石が入っています。
手を入れて中の石をひとつ取ります。
手に取った石が白ければ善い事があり、黒ければ悪いことが起こります。


もちろん、私もやってみました。
結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・グレーの石icon10

に、煮え切らないっ!!

「こんなのなんかモヤモヤするっ!!」
と周囲に訴えていると、ネパール人のドクター(通称ハンサム・ドクター)が、
やさしく私の肩を叩いて諭すようにいった。

『気にするな。』



あ、いや、そんなに気にしてはいないけどさicon11。。。
  


2009年07月13日

死ぬかと思った。

私は高山に弱い体質らしく、チベットに入って標高3,000mを越えたあたりから急激に体調を崩し始めた。
早い話が高山病ですが、高山病の症状も人によって多種多様。

私の主な症状は消化不良と「脈拍が尋常じゃないほど早くなる。」だった。
1分間に平均200以上。ちょっと動くと300を越えた。

なので、体力的には大丈夫と思っても身体が動かない。
なぜなら、これ以上動いたら心臓の拍動がついていけないから。
よく言うよね、生物は8億回の鼓動を終わったら死ぬって。
「私、明後日くらいには8億回目終わっちゃうんじゃないかな?」
マジで思った。

おまけに、呼吸が苦しいからマスクをしないでいた。
しかし、連日、鼻炎になるほどの粉塵の中の生活。
すぐに気管支もやられてしまい、咳が止まらなくなった。
夜の冷気にさらに気管支を痛め、咳で眠れないほど。
そして、高山病には睡眠不足は大敵。

これでもかって位の悪循環。

しかし、人間は経験によって学習する。
徐々に自分の体調管理ができるようになり、症状も緩和した。

今思い出すと肉体的にも精神的にも一番苦しかったのは往路のマナサロワール湖。

標高は4,000mを越え、帰路には雪が降った所ですが、私は沐浴を敢行した。
なぜなら、、、ここまできて見てるだけなんてイヤだったから。

沐浴は全部で3回湖に頭まで浸かり遠くに望むカイラス山に祈りを捧げる。
1回目に潜ったとき思った。

「あ、コレ死ぬわ。」

思えばコレがチベットで死ぬかもって思った第1回目だな~。




でも、2・3回目は全然平気icon22






  


2009年07月12日

Nバタフライ・・・8

そういえば、まだカイラスを目指して平地をひた走っていた時。

景色もあんまり変わらない。
砂ぼこりで視界も悪い。
疲労している。


私は車の中でグッッッスリと爆睡していた。
もはや気絶に近い感じ。

そんな私は突然の衝撃で目が覚めた。
face08なな、なんなのっ!?
ガックガック肩がゆすられている!!

あるんですねぇ・・・、
一体何が起きているのか分からず右も左も分からない状態になる事って。

????????????????face08
「えっ?」

目覚めた私のリアクションは最小限だった。
しかし、まだボーッとしている私にマダムが言った。

『ののさん、カイラス山が見えるわよicon06

・・・カイラス?・・・見える?
「え・・・どこ?」
やはりあまり動きがでない私。

『ほら、あそこ、ほらほら。』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・見えない。

「どこですか?」
『ほら、あそこ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分からない。

「どこ?」
『ほら、あの山のあの辺よ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山しかないもん。

「もしかしてまだ遠いですか?」
『そうね、素人には見つけるのは難しいわね。』

・・・じゃ、無理じゃんface07

「もう少し近くまで来たら教えてください。私、目が悪いんで。」
私はこの一言を残し目をつぶり、瞬時にまた爆睡モードに戻ったのでした。  


2009年07月11日

Nバタフライ・・・7

マダムNはカメラマンな一面もある。


カイラス山にて・・・。

私とマダムNはトイレに行きたくなった。
しかし、周りは馬方さんやらチベッタンだらけ。
ここじゃ、さすがに無理ですね~icon10

周りを見渡すとちょっと・・・低酸素な身体で行くには結構下方に大きな岩が。
アレはいい感じ。
と、私たちはその岩を目指して下っていった。

ふと振り向くと背後にはステキなアングルで聖なる山カイラス山が私たちを見下ろしている。
これは、写真撮るしかないでしょ!?

「マダム、ちょっと写真撮ってください。〝私とカイラス山〟で。」

もちろん、マダムは二つ返事でOKしてくれた。
私はフツーに写ろうと思いましたが、マダムはそんなポージングでは満足できない。
そう、カメラマン魂に火がついた・・・の?




結果がこの写真。


『ののさん、そんなんじゃダメよ、もっと手を広げて!・・・・そうそう、もっと大きく!!羽ばたくようにっ!!』
も、もういいですっicon11
と何度か言ってみましたがそれは却下。

『ほほほ、それでもう限界かしら?もっとこう、カイラス山を抱くようにっ!』
(↑セリフだけだと以外と女王様だな~。)

そんなやり取りの後、一応マダムのOKが出たのが上の写真です。
フフフッ。私、結構ドクターストップな身体だったんだけどね。
頑張ったよicon22


ただ、そんな写真撮影のあと絶好調なマダムはカイラス山に向かって、
『いいわよ~、いいわよ~!う~ん、素晴らしいわface05
『う~ん、ステキicon06

と、声をかけながら〝聖なる山カイラス山〟の写真撮影会を開始したのでした。  


2009年07月10日

Nバタフライ・・・6

マダムNは、誰よりも早く落馬しました。



馬が突然立ち上がってしまい、アブミに足を残したまま落馬。
そのまま馬に引きずられたそうです。
face08なんらかの処刑じゃないですよね!?

もちろん私はその噂を聞きつけて、一番にマダムに落馬状況を聞きに行きました。
マダムは私が今後同じ過ちをくり返さないようにとじっくりお話してくれました。

・・・・ま、未だにその詳細はよく分かりませんが、ただ一つ確かなコト。


それは、マダムが無傷だったという事。
これスゴイ事だよね?  


2009年07月09日

チベットSET

チベット(西域)の風景。


基本SETがどこまでも広がる平地と山。




※山は多種多様かつめちゃくちゃデカイ!一番奥の山で4,000m級、手前も3,000m級の山々です。




たまにオプションで川や湖が現れます。










トッピングでヤクや山羊、ヒツジもつきます。









以上が大体果てしなく続いていきます。






この景色だけでも車で2~3時間は走りました。
  


2009年07月08日

自然しかないチベットの自然

チベットに行ってまず驚いたのが







空の青さ



次にほとほと感心したのが



何にも邪魔されない雲の自由さと、




それを上回る奔放さを感じさせる



雪、







雪、







雪。



降りたい放題だ。
遠~くの山に雪が降っているのが見えて、
「わ~、スゴイ!!」
なんて言ってたらあっという間にコッチに迫ってくる。
「ま、まさか!?」
と、思ってる間に空はどんどん暗くなってきた。
以外と雪雲は足が速い。

慌てて洗濯物を取り込んでテントに駆け込んだ。
雪って言うか、霰?米粒小の氷の塊がバラバラとすごい勢いで落ちてきた。

チベットは平地なので山以外視界をさえぎるものが何も無い。
全部見えてるから天気予報いらないかも。  


2009年07月07日

チベットクイズ

さて、問題です。






チベットの車は右と左、どちら側通行でしょうか?










そう、「右側通行」です・・・が、










実は、「好きな時に好きな方」が本当の正解です。

  


2009年07月06日

エベレストに3回

私たちはチベットに入ってから高所訓練をしながらカイラス山を目指していた。

そして全てのサポートをしてくれていたのがネパール人のポーターさん達。
プロですから、何度も高~い山に登っている。
しかも〝エベレストの北側にバス降りてから3日歩くところにある村出身〟とか
すでにスゴイところに住んでたりしてるからやっぱり標高の高い山でもヘッチャラだ。

私は3,000m位のところで最初に「身体おも~い」、「だる~い」「動けな~い」を味わい始めた。
酸素が無いので苦しいと言う事だけでなく、身体全体の機能が落ちる。
むしろ今までの自分に比べて動けるはずなのに動けないっ!と感じるほうがツライ。

しかも、高山では酸素が足りなくて脳に障害が出たりする事もあるらしい。

こわ~face09
と、思いながら山を登っていると友達からポーターさん情報が。
なんでもポーターさんの中にエベレストに3回も行っている人がいるそうな。

え~、私は高所訓練で既にヘロヘロなのに、エベレスト~ッ!?
仕事でエベレストって、なんてツライ仕事なのicon10

「ホントに?ホントに3回も行ったの!?」

疑うわけではないが、本人から聞いてみたかったので聞いてみた。

すると彼は大きくうなずき
「Yes!3Timesicon23

と、手をパーicon23にして言った。


・・・・・・・それ、5・・・だよね?


ネパールは「3以上はたくさん」とか数える国だっけ??

高山では酸素が少なくて脳に障害が出る場合があるらしい。あるかもしれない。
にわかにリアリティーを帯びてきた話である。