2009年02月16日

インドの思い出(澄んだ瞳編)

インドの思い出(澄んだ瞳編)


バンガロール(にあった)孤児施設“ヴィシュワラヤ”

来る者拒まずのヴィシュワラヤには、
外国から来たアーティストやら旅人やらがフラリとやってきてはフラリと去っていくらしい。

そして建物のそこかしこに絵やらなんやら描いたり作ったり。
(ちなみに私のHPの写真はヴィシュワラヤで撮った写真。)

インドの思い出(澄んだ瞳編)




現在、このヴィシュワラヤはラムラムさんの息子さんの“ナントカサン”が後を継いでいる。
この“ナントカサン”(名前、忘れましたface07)。

衝撃的です。

天使が人間になった?
人間が天使になる一歩前?
イエス・キリストってこんなんじゃなかったのっ!?

ってくらい瞳が澄んでいる。
存在が澄んでいる。
ただ立っているだけで両手を広げてるような包容力、許されてる感。

いるんだ、こんな人間が。。。
ありえるんだ、こんな人間が。。。

なぜ、インドにこんな人が?
いや、いや、インドだからこんな人が存在するのね。


あまりの衝撃に私はカメラを向ける事ができませんでした。
なんだか失礼な気がして・・・。

インドの思い出(澄んだ瞳編)


だから集合写真で。


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この記事へのコメント
ヴィシュヴァラヤのイエス・キリスト、
私も名前は覚えてない・・・
赤ちゃんを抱いて入り口に立っていた姿が衝撃的で、忘れられません。
ルネッサンス絵画から抜け出たような感じ。
受胎告知のフレスコ画とか、頭に浮かびました。
あんなひとがいるんだ・・・
インドって底知れない国だなぁ、と感慨も新たにしました。
Posted by Luna at 2009年02月20日 19:03
「ヴィシュヴァラヤのイエス・キリスト」
まさに、そうですね。
名前忘れちゃったし、これからそう呼びましょう。
Posted by のの at 2009年02月20日 21:07
そうですね!
本当にその名にふさわしい方でしたね。
Posted by Luna at 2009年02月21日 18:04
決定ですね。
“ラムラムさんの息子さんのあの名前忘れちゃった人”
改め“ヴィシュヴァラヤのイエス・キリスト”で。
Posted by のののの at 2009年02月21日 19:43
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    コメント(4)